バックミラーの生霊と、玄関のクワガタ。──見えないものより、肉体を生きる話

コラム

つい先日の話。
仕事ですっかり帰りが遅くなってしまった。
車の通りが少なくなった道を私はバイクで走っていた。
家の近くは日中でさえ人通りが少なく、こんな時間に歩いている人などいなかった。

次の信号を過ぎて坂を登るともうすぐ家に着く、というところで、赤になったのでバイクを停めた。
歩車分離信号の長い信号待ちの間に、後ろからバイクがやってくる音がした。
ちらっとバックミラーでそれを確認して目線を前に戻した。

その時ふと、何か異変を感じたような気がした。
もう一度ミラーを見た。
一瞬目を疑った。

バックミラーに映った後ろのバイクの運転手が、こちらを覗き込んで笑っていた。
髪が短めの若い女だった。
少し首を右に傾けながら私に手を振りそうな勢いで、ヘルメット越しにニカっと歯を見せて笑っていた。

え、?!

知り合いか?いや、家の近所に知り合いなどいない。
というか、そもそもヘルメットを被ってマスクをしている状態で、私が誰かわかるはずもない。

笑い続けているヘルメットを被った女の顔からしばらく目が離せなかった。
明らかに私のミラーに映ろうとしていた。

背筋がスッと冷たくなって、私は力づくでミラーから目を背けた。
これはもしかしたら、頭のおかしな女が嫌がらせか何かをしてくるつもりなのかもしれない。
さらに後ろから車のヘッドライトが近づいて来た時、信号が青に変わった。

私はスピードをかなり落として信号を右折し、そのまま速度を上げなかった。
すると、後ろのバイクも右折してから私の横を追い越していった。
運転手の後ろ姿を見ると、かなり年配の髪の長い女性だった。

私はほっとしたと同時に、あのミラーに映った女は一体なんだったんだろう、と意味がわからなかった。

心霊現象?
でもなんで?
私の前に現れたって意味ないのに。と思った。

私はそれほど霊が怖くない。
もちろん不気味だし、ゾッとするし、実際に心霊現象はあるとは思うけど、そんなに言うほど怖くない。
なぜ怖くないかというと、その正体がわかってるからだと思う。

「霊」の正体は「強い念」であると思う。
なので、生きてる人も死んでる人も「霊」になれる。

例えば、
・まだ小さい子供を残して死ぬのが悔やまれる、といった強い心配の気持ちや、
・もっと生きてやりたいことがあったのに、志半ばで諦めなければならない、のような無念の気持ち、
・誰かに裏切られて殺された、という恨みの気持ちなど、

生きてるうちに消化しきれなかった強い感情、すなわち、この世に残って留まっているエネルギーが、「霊」となる。
だから、そのエネルギー(霊)が見える人もいるし、見えずに何か感じるだけの人もいる。
見えたものも人によって違うと思う。

だから私は、霊とは単なる残存しているエネルギーだと思っている。
それが体を持って生きている私たちに対して、何か災いを起こせるとは思えない。
例え何か心残りがあったとしても、それはその人自身でなんとかするべきだと思うので、助けてあげようとも思わない。
冷たい人間だと言われるかもしれないけど、そもそも私には救えないと思う。

なので、そんなドライな私の前に出てきたあのバックミラーの女は、一体なんだったんだろう、と不思議に思った。

「鏡に映る女」について調べてみると、
“鏡の中にだけ、実物とは違う若い姿や不自然な笑顔が映る」というのは、『若さや愛想、無害さ』を装って近づこうとする、他者の「生霊(執着や依存のエネルギー)」の典型的な現れ“
とのことだった。
それが真実かどうかを確認するのは難しいが、もしかしたら、私に依存して「もっとこっちを向いて欲しい」という生き霊の姿だったのかもしれない。

私が言いたいのは、「霊」に力を与えてはいけない、ということ。

人間や全てのものはエネルギー体なので、形をなくしたエネルギーだけの存在はあって当然だと思う。
でも、その正体不明のエネルギーを必要以上に怖がることは、それに力を与えていることになる。
反対に、見えないものを必要以上に崇めるのも同様だと思う。
「あちらの世界」に意識を持っていかれすぎている時、私たちのエネルギーは、今ここにある肉体から留守になってしまうから。

神や仏や精霊や天使などに傾倒しすぎているな、と気づいたら、自分の体はどこだったかな、と、改めて確認した方がいい。
この地球に体を持って生まれてきた以上、まずは目に見えるもの、聞こえるもの、感じるものに注意を向けることから始めよう。

そんなことを考えながら家に帰ると、玄関の前に何かがいた。
よく見ると、クワガタがひっくり返ってジタバタしていた。
私はなんだかホッとして、指先に感じるその硬くて力強い生命の重みを確かめながら、表に返してやった。

甲虫が家の前にいるのは、幸運の印らしい。

コメント